千代太郎生誕の1889年(明治22年)時代の背景
1884年(明治17年)~1887年(明治20年)の主な出来事
西暦 | 和歴 | 出来事 | |
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1 8 8 4 年 |
明 治 1 7 年 |
凶作(農業恐慌)起こる。地租条例公布(地租固定)。 第1回水産博覧会、上野で開催。 自由党解党。 神田下水着工。岡山後楽園、県庁所管に移り公園となる。 脚気予防のため、海軍の兵食が半麦となる。 千葉県の土屋常蔵、初めて「落花生油」を製造。 東京浅草の料理屋「あづま」にて「つかみ料理」という名で開業、一品料理の初めといわれる。北海道にて「さらし飴」の製造開始。 東京築地魚市場の開設を許可する。 医術開業試験施行。全国医師の医籍調査始める。正規の看護婦教育始る。木村秀子医術開業試験に受験。高橋瑞子、済生学舎に医学を学ぶ。 凧合戦、静岡で禁止。品川ガラス製作所が西村勝三の民営となる。 エッチングの技法始まる。 |
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2月 | 神戸小野浜造船所、鉄船「朝日丸」を建造、鉄製巨船として声明得る。 黒田清輝(洋画家)フランス留学(18歳) | ||
3月 | 芝離宮延遼館で天覧相撲。 | ||
6月 |
警視庁、東京の派出所に天気予報掲示板設置。 警視庁、消防機器を整備。 |
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7月 |
東京市内に消防井戸を設置。 警視庁鍛冶橋庁舎内に消防本署新庁舎成る、庁内に初めて火見櫓設置。 |
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8月 |
森鴎外(小説家)ドイツへ留学(22歳) 台風被害、九州~東北2000人近く死亡。 中学・師範学校教員免許規定制定。 |
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10月 | 農民・自由党員ら、減税などを要求し蜂起、軍により鎮圧。(秩父事件)東洋英知学校開校。 | ||
12月 | 自由党員、村松愛蔵ら、名古屋鎮台襲撃計画が発覚し逮捕(飯田事件)愛知自由党員、政府転覆を計画して発覚。(名古屋事件) | ||
他 |
朝鮮京城の親日派、独立党のクーデターに日本公使が軍隊を率いて呼応するが、清国軍に鎮圧される。(甲申事変)朝鮮にて郵便事業開始。テニス輸入される。 絹織物にジャガード機が普及し始める。 アメリカ大陸横断鉄道開通(1869年・明治2年)により、日本生糸はサンフランシスコからアメリカ東部工業地帯に直接輸出する。 → 1869年(明治2年)に、スエズ運河開通時から、日本生糸、仏・伊に直接輸出。 丸善、万年筆の輸入販売を始める。芝離宮の廷遼館で相撲天覧。 |
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1 8 8 5 年 |
明 治 1 8 年 |
内閣制度制定。初代総理大臣に伊藤博文(44歳)、太政官制廃止。 日本郵船設立、第1期海軍拡張計画。 松方正義のデフレ政策により不況、極点に達す。 農事巡回教師制度発足。 日本銀行、兌換券の発行を開始。 山口県に米質改良の組合設立(後に防長同業組合) 農務省に水産局を設置、(日本有用水産誌)(日本水産生品誌)(日本水産採誌)編纂。福田英子、大井憲太郎らの朝鮮開放運動に加わり入獄。 荻野吟子、私立医塾好寿院に学ぶ。 ヤマサ醤油の浜田儀兵衛、「ウスター・ソース」を初めて製造する。 この頃、宮内省の内苑頭福羽逸人、ヨーロッパから「メロン種子」を取り寄せを始める。坪井玄道・田中盛業著「戸外遊戯法」出版。 |
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1月 |
上野公園にて学生の集会(3000人)清国開戦の集会。 田中智学、立正安国会創立。 |
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3月 | 往復ハガキを初めて発行。 | ||
5月 | 天理教、神道本局部属6等教会として初めて合法化。 | ||
6月 | 坪内逍遥「当世書生気質」を刊行。 | ||
7月 | 明治20年以降、500石以上の大和型船の製造禁止、大型船は全て西洋型に限る。警視庁の職制改正、消防本部の身分・地位・職務規定を確立。 | ||
8月 |
大阪鎮台の営内酒保でビール販売。 カトリック北日本代牧区オズーフ司教。ローマ教皇レオ13世からの親書を天皇に奉呈。 |
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9月 |
英吉利法律学校(中央大学の前身)を創立。 一致教会牧師、木村熊二夫妻ら、九段坂下に明治女学校設立。 |
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11月 | 消防本署、消防派出所2カ所を設置。芝三田の黒田忠義邸にて天覧相撲。 | ||
12月 |
内閣制実施に伴い工部省廃止、鉄道局は内閣に直属。 森有札、初代文部大臣に就任される(38歳)。 米国フレンド婦人外国伝道教会のコーサンド来日。 |
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他 |
坪内逍遥、「小説神髄」(26歳) 那須疏水が完成。長野県諏訪地方の寒天、ゼリー材料として輸出。 独逸産ビールの輸入増加し、広く出回る。鹿鳴館で舞踏の合間にビール飲まれる。 東京女子師範洋服式制服、以後各師範で洋装となる。 中国・東南アジアで日本人売春婦が増え、婦女の人身売買が問題となる。 「湯屋取締令」。以後は全てこれにより取締まられる事となる。 トランプ発売される。 はしかが全国的に流行する。 登山、松浦武四郎、「秩父札所巡拝記」を刊行。 |
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1 8 8 6 年 |
明 治 1 9 年 |
北海道庁設置(この時期北海道への移民が激増)。 深川に廻米問屋市場ができる。神田下水1・4kmで中断。 夏、西からコレラ流行、全国で1万人死亡。 東京下谷池ノ端「酒悦」野田津右衛門、「福神漬け」を創製。 大阪泉南郡、今井伊太郎、「タマネギ」の栽培を始める。 ドイツで発明されたサッカリン、砂糖の代用品として輸入販売。 東京日本橋小綱町にコーヒーの店「洗愁亭」開店、喫茶店の始まり。 この頃、洋食店が一般に広まる。 中華料理書「日本西洋支那料理独案内」刊行され、中華料理、普及する。 |
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1月 |
神道事務局、神道本局に改組、教名を神道と称し、以後教派神道の独立教派の扱い。 相撲会所の申合規制を改正、筆頭を取締、筆脇を副取締とし、組頭は組長、組下は歩持年寄と改称。 |
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3月 | 帝国大学令により東京大学を帝国大学に改組。 | ||
4月 | 電信修技学校を設置。小・中・師範学校令公布。 | ||
5月 |
教科用図書検定条例制定(教科書検定の始まり)。 小学校令により体操が正課になる。 |
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8月 | 原丈吉、荒川岳を開山。 | ||
12月 | 東京婦人矯風会創立。 | ||
他 |
小学校令・中学校令公布。甲府の製糸女工、労働条件改善を要求し、ストライキ(日本初)。 東京大学医学科を東京帝国大学医科大学と改称。日本薬局方を制定。 全国を5区に分け、各区に高等中学校を置き医学部をその分科とする。 万国赤十字条約に加入。博愛病院開設。 理科系志望の姉妹に対し帝大入学の志願許されず。共立女子職業学校(共立女子学園)開校。 京都で「こっくり様」という占い遊戯流行。小学生の洋服姿が増える。 西村勝三、ヨーロッパのガラス工場を視察。 岡山藩家老で幕末の茶人として活躍した伊木三猿斎、没(69歳) 歌舞伎、末松謙澄、「演劇改良意見」発表、演劇改良社創立、ナポレオン親王・ドイツ皇族など外国要人観劇相次ぐ。 |
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1 8 8 7 年 |
明 治 2 0 年 |
北海道にて鹿島万兵衛ら大農場経営。東京に電燈つく。保安条例公布。 鈴木浦八、静岡県で畦畔改良を行う。 日本麦酒・札幌麦酒会社創業。大日本私立衛生会、水道優先を建議。 東洋汽船設立。秋元巳之助、「金銭サイダー」を売り出す。 平田孝造、初めて「蟹の缶詰」を製造。 従来観賞用だった「トマト」が、この頃から食用として栽培される。別名「アカナス」とも呼ばれた。この頃マーガリンをオーストラリアから輸入する。 フェノロサ・岡倉天心ら、東京美術学校を創設。 二葉亭四迷「浮雲」を著す。 東京鎮台、パン食を1日3度として製造所を設置する。 山陽鉄道の姫路駅で折り詰め弁当を売り出す。 登山、松浦武四郎、全国30カ所を遍歴、「富士登山記」を刊行。 |
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1月 | 伊藤博文、自邸の夜会で「麦酒」をふるまう。 | ||
2月 |
岡山の村山松寿軒、「鶴の卵」なる菓子を売り出し岡山名物となる。 井上円了「仏教活論」成立。 |
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3月 | 植村正久、番町教会(後の富士見町教会)設立。 | ||
4月 | 井上外相邸で展覧劇(歌舞伎)「勧進帳」「忠臣蔵」「土蜘蛛」等で団十郎菊五郎・左団次ら出演。 | ||
5月 |
東京電信学校を新設。 三菱、官有長崎造船所を買い受ける。 |
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7月 | 日本橋、京橋の洋酒一杯売店、夜半まで納涼客で賑わう。 | ||
8月 | 京都で、西本願寺の普通教校生徒有志で組織した反省会、禁酒進徳をモットーに「反省会雑誌」創刊。(中央公論の前身)。 | ||
9月 | 輸入ビールの人気、英国産から独逸産に移る。 | ||
10月 |
図画取調掛を東京美術学校、音楽取調掛を東京音楽学校と改称・改組。 横浜で初の鉄管式上水道の配水開始。 |
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11月 | 金光教、神道本局6等直轄教会となり、初めて合法化。 | ||
12月 |
片岡健吉、尾崎行雄ら570人保安条例により皇居から以遠12kmに追放。 正教会「正教新報」とカトリック教会「天主之番兵」とで論争、日本の布教での対立が表面化する。この年マリア会(カトリック教会)宣教開始。 |
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他 |
婦人の服装に関する皇居思召書。生糸生産量5万324俵、輸出量3万1474俵。 日本赤十字社設立。 府県立医学校の費用を地方税で支弁する事を禁ず(ただし、京都・大阪・名古屋は別扱い。) 「婦人鑑」を全国学校に配布。 横浜に現れた薬湯「昇林館」が有名となり、銭湯の薬湯が流行。 ガラス製玩具ポコンペコン流行。国産の幻燈機登場(玩具)。 鉄金型普及する。 |