社長ご挨拶
景気の低迷が長く続いております。IT(Information Technology)の進化がグローバル化とボーダレス化をもたらしました。東アジア、アセアン等、諸外国の足並みと比較しますと、経済歴・政治的にも、どうも日本国は歩みがノロイ・・・・。また国民の多くが元気がなく、泥沼・迷路にはまり立ち往生しているように思われます。昨年あたりから、ようやくデフレ経済から抜け出す経営戦略をもたれた経営者も見えてきたように思われます。
振り返りますと80年~90年のバブル経済の破綻と97年(平成9年)後半のアジア経済危機、現在はインフレから、明治以来 経験のないデフレ経済の最中。その過程にて多くの企業が疲労困憊しました。現況の企業数もバブル時と比較しても半分以下に淘汰されるほどの環境であり、国家予算にしても大まか80兆円強から40兆円強と半分という状況で、混乱・低迷は仕方のないことと思います。
本来であれば国家・国民は悲惨で大混乱の経済状況となるはずでですが、賢明な日本国民の世界第一位の貯蓄により防止できました。その基礎作りは敗戦から帰還した先人たちのお蔭で当時「アジアの奇跡」と世界から絶賛されました。本当に有難い事で忘れてはならないことと考えます。
当社では本年、皆様方のご支援をいただきまして、創業92周年を迎える事ができました。
初代・先代と三代に渡り苦境を乗り越えてまいりました。
先祖の教訓・精神性を守り、好況時・不況時にかかわらず、常に状況把握と、常に危機感を抱き、常に先を見て『自営(自衛)』せよ。との教えにて今日に至りました。本年も社員共々、出来うる限り、お客様へ精一杯の『汗』を出させていただき、『誠』をもって対応させていただく所存でございます。今後とも一層皆様方のご支援、御指導を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
合 掌
株式会社 シモノ
会社概要
本 社 | 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜51 |
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代表取締役 | 下野恵章 |
創 業 | 大正14年 |
設 立 | 昭和31年6月 |
資 本 金 | 1千万円 |
業務内容 | 一般墓石・建築石材・庭灯篭販売及び施工 |
事 業 所 | 石材部 千葉県夷隅郡大多喜町横山980-1 TEL:0470-82-2631 FAX:0470-82-5115 アクセス |
シモノを築いた人たち
初代 下野千代太郎 (しもの・ちよたろう) 下野家・14代目 |
二代目 下野善次郎 (しもの・ぜんじろう) 下野家・15代目 |
仕事場にて。 昭和16年(1941年)夏 左より。下野岩治(14歳) 下野善次郎(19歳) 下野千代太郎(52歳)初代千代太郎は52歳ですが、鍛え上げた身体が52年の生き方を教えてくれます。 |
私は父の「カチーン・カッチーン」と石を叩いている姿を覚えている。しかし、仕事場には行けなかった。幼い私は興味本位で行きたくて仕方なかった。行くと両親にひどく怒られた。怪我をさせぬ為だった。写真を残してくれた事を有り難く感謝する。「子は親の背中を見て育つ」というが・・・そのとうりと思う。
朝歩きながら仕事の打ち合わせをしている姿、当時の人達は時間を無駄にしなかった。この後すぐに仕事が始まります。当時は「怪我と弁当は自分持ち。」という時代でした。保険制度はあったと思いますが、「自分の身体は自分で守る。」という考えでした。だからこそ常に緊張して仕事をした訳です。
1日の仕事の中での休憩は午前10時と午後3時の30分と昼飯の1時間でした。緊張して仕事をする限界が2~3時間なので休憩が必要だったのです。受け継がれた知恵なのです。
そして日が暮れて暗くなると「カラスと一緒にかえりましょ。」と帰宅し身体と心の疲れを酒で充電する毎日でした。又、休日は雨でした。先代が言った事を思い出します。「日本は何も資源がねぇ。働かねぇでメシが食えるわけがねぇ」と小言をいつも言っていました。
和17年(1942年)頃の当社の仕事場です。
朝の光景です。一日の始まりです。まず最初に始める事は仕事場の掃除です。
毎朝の掃除は、毎日の日課で怠る事はしません、掃除の最中で一日の段取りとかの 仕事を考えるのです。しかしそれよりも一日の始まりのけじめ、儀式と言っても いいかもしれません。気持ちを整えこの日に感謝し体調とかも計るのです。
これは言葉では表現できません、たわいのない事ですが神聖なものでこの 儀式をしないと一日が不安なのです。この考えは他の国の人にはわかりま せん。長い日本歴史の中で生まれた空気のようなもので宗教ではありません。
文字で表せば神道と書きます。